日本政府は2050年カーボンニュートラルの実現に向け、2024年に「CCS事業法(二酸化炭素の貯留事業に関する法律)」を成立させ、2030年までのCCS(二酸化炭素回収・貯留)事業化を目標としています。エネルギー・金属鉱物資源機構(JOGMEC)は「CCS長期ロードマップ」に基づき、2030年までの事業開始を目指す9件を「先進的CCS事業」として選定しました。すでに苫小牧地域や首都圏では特定区域が指定され、試掘に向けた準備が進められています。
一方、CCSは世界的にも実施例が限られており、CO₂を長期にわたり安全に貯留できた実績は多くありません。日本国内では、苫小牧沖で累計約30万トンのCO₂を圧入した実証実験が行われましたが、モニタリングは2019年以降にとどまっています。CO₂を数十年から数百年にわたり安全に封じ込め続けることができるのかについては、依然として大きな疑問符が残ります。
本記事では、2024年に米国イリノイ州で発生したCCS貯留事業(IBDP)におけるCO₂漏洩の事例を紹介し、日本のCCS事業の安全性を考える上で参考とすべき点を整理します。
米国イリノイ州「IBDP」プロジェクトの概要
漏洩が発生したのは、イリノイ州ディケーターで実施されている「Illinois Basin–Decatur Project(IBDP)」です。同事業は、イリノイ州、インディアナ州、ケンタッキー州の地質調査所が主導する中西部地層貯留コンソーシアム(MGSC)が実施しており、穀物メジャーであるArcher Daniels Midland(ADM)社が主要な協力企業として参画しています。
ADM社は、トウモロコシ由来のバイオエタノール製造過程で発生するCO₂を提供するとともに、圧入設備や監視体制の運営を担っています。IBDPでは2011年から2014年にかけて、地下約2,000メートルの砂岩層に累計100万トンのCO₂を圧入するパイロット事業が行われました。その後のモニタリング期間を経て、2017年からは商用規模のCO₂貯留事業が開始され、現在までに約380万トンのCO₂が貯留されています。
2024年に判明したCO₂漏洩事故
2024年9月、監視用井戸に設置された計器の異常をきっかけに、CO₂漏洩が判明しました。調査の結果、監視井戸内に設置された管が腐食し、そこからCO₂が漏れ出していたことが確認されました。
9月19日、米国環境保護庁(EPA)は、ADM社に対し安全飲料水法(Safe Drinking Water Act)違反の疑いで執行命令案を発出しました。さらにADM社は9月27日、第2監視井においても圧入流体の漏洩の可能性があるとして、CO₂圧入を一時停止したことをEPAに通知しています。
EPAの調査によると、漏洩したCO₂は、貯留層であるMt. Simon帯水層(深度約1,700~2,100メートル)の上部に位置し、本来CO₂を封じ込める役割を果たす頁岩層を越え、さらに上位の地層へと移動していました。これは、貯留が許可されていない区域への圧入流体の移動にあたり、CCS事業に適用されるUIC Class VIおよびADM社の事業許可に違反する可能性があると指摘されています。
なお、UIC Class VIでは、圧入停止後からサイト閉鎖まで50年間の継続モニタリングが義務付けられていますが、ADM社は2021年に、この期間を10年間に短縮することで管轄当局と合意していました。
漏洩後の対応と圧入再開
ADM社は漏洩への対応として、監視井戸の漏洩が確認された深度までCO₂耐性のあるセメントを注入し、ブリッジ・プラグと呼ばれる遮断装置を設置しました。さらに、監視井戸の深度変更や新たな監視井戸の追加設置を行いました。
これらの対策についてEPAは妥当であると判断し、ADM社は2025年8月29日にCO₂圧入を再開しています。
漏洩事故と情報公開の課題
一方で、漏洩事故後の情報公開のあり方には課題が残されています。報道によれば、ディケーター市議会の議員の中には、漏洩の発生を報道で初めて知ったと証言する者もいました。ADM社は取材に対し、3月の時点で計器が漏洩を感知していたと説明しており、EPAが執行命令案を出すまでには約半年が経過していました。
この市議会議員は、もし事前に漏洩を把握していれば、5月に市議会が承認した地下貯留拡大の認可に反対していた可能性があると述べています。これらの経緯から、事業者であるADM社が、自治体や住民などのステークホルダーに対して、十分かつ適時に情報共有を行っていたとは言い難い状況です。
日本のCCS事業において参考にすべき点
この漏洩事故は、日本のCCS事業の進め方を考える上でも重要な示唆を与えています。
第一に、貯留事業の監視に必要な情報を、自治体や住民などのステークホルダーが日常的に入手できる仕組みを確保する必要があります。漏洩が認識されながら公表されなかったことで、自治体の意思決定が歪められた可能性は否定できません。事業者は、判断の前提となる情報をリアルタイムできめ細やかに公開する体制を整えることが求められます。
第二に、海底下での漏洩検知や環境影響調査、対策の実効性の検証についてです。日本で計画されているCCS事業の多くは海域での貯留を想定しており、漏洩が生じた場合の検知や対応は、陸域よりも困難になると考えられます。政府の審議会では、漏洩しても大きく広がらないとするモデル計算が示されてきましたが、実際の事故対応のプロセスや責任の所在については、具体的な検討が十分とは言えません。
さらに、日本には米国のUIC Class VIに相当するCCS専用の安全基準が存在せず、どのような事象を「違反」とするのかについても明確ではありません。IBDPの事例を踏まえ、漏洩時の報告義務、対応手順、責任分担、規制の在り方について、事前に整理・検討することが不可欠です。
CCS事業には、技術的・制度的な課題が多く残されていることが、これまでも多方面から指摘されてきました。それにもかかわらず、政府や産業界は十分な検証を行わないまま、事業化を急いでいるように見えます。そのような姿勢は、リスクの過小評価や情報の不十分な開示や隠ぺいにつながるおそれがあります。
米国IBDPでの漏洩事故は、CCSを「安全で確立された技術」と位置づける前提そのものを問い直す事例です。政府および事業者は、事故時の情報共有や対応について、より詳細な事前検討を行う必要があります。また、社会の側も、その透明性と説明責任を求めていくことが重要です。
参考
RITE主催、CCSテクニカルワークショップ2026~大規模CCSの事業化に向けて:技術・政策両面からのアプローチ~(2026年1月21日開催)における講演資料
CCUS at Decatur, Illinois: Past, Present, Future (PDF)
US Department of Energy:
Midwest Geological Sequestration Consortium (MGSC) , Carbon Storage Atlas Phase III(リンク)
Midwest Geological Sequestration Consortium
ILLINOIS BASIN DECATUR PROJECT Final Report
An Assessment of Geologic Carbon Sequestration Options in the Illinois Basin: Phase III, Written by Sallie E. Greenberg, Ph. D. (PDF)
JBC記事紹介
【ニュース】着々と進むCCS事業ーCCS付き火力は脱炭素策ではない(リンク)
【レポート】国際機関が指摘するCCSのリスク(リンク)
【ニュース】FoE Japan、動画「CCS 夢の気候変動対策?その落とし穴とは」を公開(リンク)
【ニュース】九十九里沖CCS政策セミナー、置き去りにされた住民の声(リンク)
英語のReference
EPA : EPA Announces Proposed Order Requiring Archer Daniels Midland Co. to Take Actions to Ensure Safe Operation of its Carbon Sequestration Well in Decatur, Illinois (リンク)
Carbon Dioxide Migration Along Faults at the Illinois Basin—Decatur Project Revealed Using Time Shift Analysis of Seismic Monitoring Data(リンク)

